"仏教"カテゴリーの記事一覧
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ありのままの現象の観察を行うヴィパッサナーが最も安全であり、最も本質的な仏教修行である。本来、有身見を見破るために行う。こうした観察は、自分で自分を観察するというものではあるが、偏見、偏見による言語的判断等々、自分の自我を通して観るのではなく、現象をそのまま観るというのが基本となる。PR
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一切行苦は「どう生きるか」に関連するため、理解しやすくわかりやすい側面を持っている。
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生苦とは、生きる苦しみ、生きるためにやらされている事による苦しみのことを意味する。「生存本能にただやらされているだけ」という生存本能としての苦しみが「生苦」・「生きる苦しみ」。
生苦の苦
生きるために常に何かを求められ、やらされているという構造は、常に同時に満足のすぐ後に不満足の状態になるという構造を持っている。この生苦の苦は、不完全、不満足、思い通りにならないという意味のドゥッカである。
「生苦」生きる苦しみ -
預流向・預流果・一来向・一来果・不還向・不還果・阿羅漢向・阿羅漢果。
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諸行無常と関連した諸法無我も哲学的概念である。諸法無我は諸行無常と同様に、自分の主義によって変更することのできない理。諸法無我は「諸法非我(しょほうひが)」と呼ばれることがある。アートマンの否定要素もありながら、あらゆるものは因縁による状態にしか過ぎないというのが諸法無我である。その理解には哲学的感覚が必要となる。
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諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切行苦。
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五蘊盛苦は、一切行苦の「一切の形成されたものは苦しみである」に最も関連し、四苦八苦の中で一番馴染みにくい哲学的な苦しみ。