空性から見る「知足」。知足は、大乗の仏遺教経に登場する。
「吾唯足るを知る」というものは、吾唯足知・吾唯知足と表現される。
一般的な思考上の理解の範囲で「足るを知る」ということを考えてみた場合、知足は、現状に満足しろ押さえつけられているように感じる。満足しているということを知る、ということから余計な欲を起こさず、満足せよと命令されているように捉えられがちである。ただ、哲学的・仏教的に見ると全ては空性となるので、「ある」と「ない」の両方が確定的ではない。そうなると知足の前提となる「あるから足りている」の「ある」が疑わしくなる。
知足と空性と「充足への移動」
「吾唯足るを知る」というものは、吾唯足知・吾唯知足と表現される。
一般的な思考上の理解の範囲で「足るを知る」ということを考えてみた場合、知足は、現状に満足しろ押さえつけられているように感じる。満足しているということを知る、ということから余計な欲を起こさず、満足せよと命令されているように捉えられがちである。ただ、哲学的・仏教的に見ると全ては空性となるので、「ある」と「ない」の両方が確定的ではない。そうなると知足の前提となる「あるから足りている」の「ある」が疑わしくなる。
知足と空性と「充足への移動」
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